⑪ バジャウトリップ 石垣島一周レポート

八重山郡石垣島

2019526日~61

 

 毎年、梅雨のさなかに行われるバジャウトリップのロングディスタンスツアー「西表島一周」。2016年から始め、過去三回開催しすべて完漕をしている。
 そりゃ一週間もかけてやるのだから西表島一周くらいできるだろ!と、突っ込まれそうだが、ツアーなのだから完漕することをお客さんは望んでいるし、何より一週間も現実を忘れて西表島の自然の中カヤックを漕ぎまわるというのは至極上等で贅沢な時間の使い方だと思うのだ。むしろ完漕などしなくてもいいとさえ思っているのだが、ちゃんとゴールできるのはたいしたものだと我ながら、そしてお客さんに思う。
 しかしながら4年目を迎えた時、ガイド的には「なんかちょっと変化が欲しいな」と思えた。毎回一周にだけ参加するKWさんも「毎回色々あって楽しいですよ」と言ってはくれているものの、ちょっと飽きているな…という気配も感じていた。
 そこで、過去に企画したけど悪天候で予定を変更したり、個人での要望で行ったけど途中で断念したりした、西表島から石垣島までのアイランドホッピングを加えての隣の石垣島を一周することを考えた。もともと西表一周ツアーもこちらのリジットカヤックがあるにも関わらずフェザークラフトオーナーが参加することも多かったので、今回はいっそのことフェザーオーナー限定にして、石垣島解散のツアーにすることにしたのだ。
 告知を出してからツアー参加者が集まったのは早かった。
 過去最多の5名の参加表明があり、今回はガイド的にもロケーションガイドというよりはカヤックナビゲーション重視のガイディングを心がけるものになりそうだ。個人的にもフィールドが変わり、かなりワクワクするツアー内容になった。
 

◆ロケハン

 このツアーが決定したことで、過去に一回石垣島を一周したことはあったものの、すでに13年も前の話になるし現状との照らし合わせも必要なため、何度か石垣島へロケハンに出かけた。石垣島の友人や知人を訪ねてローカル情報を得たり、道路から海に出ることができる場所を把握したりしていった。これは買い出しや万が一のエスケープルートとして重要になるのだ。また強風などにより出艇が困難で岬などがまわり切れない時用に山や川の情報も得ておこうと海岸からエントリーできる登山道や河川を探索したりもした。
 このロケハンは個人的にも発見が多く、とても面白かった。「石島もやるな~」と新たな発見も多かった。
 今回最もお世話になったのがもともと西表島のガイドショップで働いており、現在石垣島にて活動している「石垣島アウトドアガイドMUSUBI」のアツシである。
 ◆石垣島アウトドアガイドMUSUBI:https://www.ishigaki-outdoorguide.com/
 
 彼がいたおかげでロケハンはもちろん、出発時の予定変更もスムーズに進めることができた。この場を借りて感謝いたします。

◆西表から石垣に渡る予定だったのだが・・・

 525日。
 いよいよツアー本番となり、出発のために参加者は西表島にすでに渡ってきていた。
 西表島一周の際も実際のツアー開始日より前にできるだけ島に来てもらい、前夜に参加者で顔合わせ、ミーティングを行うのが常だった。
 ところが天気予報を見る限り、とてもじゃないが西表島大原から石垣島まで島渡りをするような風ではなく、南風が810/Sという、通常ツアーなら中止にするような強さだった。
 まだ漕ぎ慣れず、出来上がっていない体でいきなり海峡横断というだけで大変なのに、この風の中ではちょっと無理がある。ここは思い切って海峡横断は中止し、石垣島に渡って石垣島一周に予定を変更することにした。前日の判断でMUSUBIのアツシに連絡すると、なんとか車の手配はできたのでせっかく西表島に渡って来てもらったものの、当日朝は845分の大型船に乗って石垣島へ渡ることになった。
 
 翌朝526日、カヤック6艇と参加者それぞれのキャンプ道具。そしてガイドのツアー用鍋、カトラリー、食料などを詰め込んだ大型バックを皆でヒーヒー言いながら船に乗せ、石垣島へ向かう。通常の高速船ではこの量の荷物を積むのは抵抗があるし、断られる可能性もあるが、大型客船でなら問題ないので、これは事前に聞いておいて正解だった。
 石垣島、離島ターミナルに到着すると、アツシが待っていてくれた。
 彼のハイエースに二回に分けて荷物を分乗し、出発予定地である真喜良の舟蔵公園に向かう。石垣港周辺は大型船舶や高速船の往来が多く、カヤックを出すにはあまりにも危険かつ邪魔もの扱いされる。少し離れたこの公園は海に面しており、芝生のある公園、蛇口とトイレもありカヤック旅の出艇場所としては申し分ない。ただちょっとターミナルからは距離があるのでアツシの存在はかなり大きかった。
 途中にあるマックスバリューで最後の買い出しをし、昼食もここで買ってもらって公園で各自のカヤックを組み立て、パッキングをし、昼食を済ませたのち出発となった。
 今回の参加者は先ほども書いた通り5名。
 皆勤賞のKWさん(ヘロン黒)、その義兄弟であるIKさん(ウィスパー青)。八重山マニアで島渡りの為にカヤックを買ってしまったTMさん(ウィスパーEX黒)。当店でカヤックをやってハマってしまい、退職金をはたいてフェザーを買ってしまったNKさん(K-1黒)。そして今回初参加ながらこの濃いメンバーと一緒に漕ぐこととなったTKさん(ウィスパーEX赤)である。ちなみにガイドの舟はK-1赤である。

 
記念すべき出発。出艇時はその日がツアー何日目かを表す数字を指さしている。恒例モノ。
 

 1330分、舟蔵公園を出発。
しばらくはアツシも車を並走してくれていたが、フサキを越えたあたりで戻ったようだった。
 フサキリゾート沖で少し休憩をし、体制を整える。
 風はここまで追い風なこともあるがそれほど脅威には感じなかったが、ここからは大﨑まで一気に名蔵湾を横断することになる。完全な追い風のダウンウィンドーになるが、湾中央部でどのくらい波があるか微妙だ。少し湾奥に入るような湾曲な線を描きながら岬を目指す。
 ところが思った以上に波も上がらず、参加者皆漕ぐ力も強いのであっという間の1時間で湾を横断、大﨑を周り込み屋良部崎を周り込むとあれほど吹いていた風も気にならなくなり、ベタ凪となった。
 御神崎の手前の浜でビバークするつもりだったが、思いの外早くここまで来れてしまい、せっかくなので上陸して歩いて御神崎の灯台まで行ってみることにした。
 難所で知られる御神崎だが、南西の風ではものすごーい凪で潮の流れもこの時は上から確認することもできなかった。僕としては高いところから海を見るのが好きなので皆を連れてきたのだが、あまり皆どうでもよいらしく、「赤塚さ~ん、絵が欲しいからここ来たんでしょ?重要だからねイメージは(笑)」と、心の中まで覗かれてしまい薄笑いを浮かべてカヤックの場所まで戻った。
 しかし真面目な話をすると、岬を周る際、カヤックでいきなり突っ込んでしまうより徒歩で様子を見に行くのもリスク回避としては重要な事なのでこういう癖はつけておいても損はないと思うのだが…。
 今回は御神崎の真下を漕いでいても吹きおろしもなく、周り込んでもさらに凪の海が待っていたので問題はまったくなかった。
 しばらく行ったところにある県道からかなり離れた海岸に上陸。初日はここでビバークとなった。
 

 
 
 

527

 850分出発。
 この日は午後から天気が崩れる予報だったので、それまでに宿泊予定地である米原のキャンプ場まで行ってしまいたいところだった。また、明日(28日)からはTHE NORTH FACEHELLY-HANSEN石垣店の店長である酒井さんもゲスト参加することになっていたので、キャンプ場で合流するのが最もわかりやすかった。
 風は昨日よりは穏やかだが、空はあいにくの曇り空である。
 崎枝周辺の海岸線は琉球石灰岩が露出しているところが多く、カヤックを漕いでいてもなかなか楽しい。養殖場のある崎枝湾奥などはショートカットして底地ビーチ沖を通り川平方面へ。せっかくきれいな底地ビーチ沖もこの曇り空ではイマイチだが、それでもこのエメラルドグリーンはたまらない。
 川平石崎周辺はロックガーデンになっており、潮位も十分あるので岸際を通っていく。
 平離島の手前でビーチにあがり休憩。ここでも「バカと煙は高いところが好き」を実践して一人カメラをもって岩山を駆け登る。なかなかの景勝地でビーチも極上。近くに大型リゾートであるクラブメッドがなければ極上のキャンプサイトである。

 
 

 15分ほどして出発。
 川平石崎の沖にある平離島。この島のリーフが切れたあたりにダイビング船が多く集まっている場所がある。おそらくここが「マンタスクランブル」と呼ばれている場所だろう。それらダイビング船を尻目にリーフ内を南下していく。このクラブメッドから川平湾に行く途中のリーフ内はなかなかきれいだ。サンゴもところどころ良好な個体群があり、砂地の上を通過するときに日が差すと南国カヤック情緒満載である。
 11時ころ、川平湾口に到着。グラスボートの出入りが激しいので航路を見極め、一気に横断。せっかくだから川平湾内も見ていきますかと湾内に入るも、人がうじゃうじゃいてやっぱりやめておくことにした…。川平小島をくるっと回って外に出る予定だったがマジパナリを通るだけで外から行くことに。ただこの周辺だけでも琉球石灰岩の小島に囲まれており、行ったことはないが皆で「パラオだ!沖縄のパラオだここは!」といって勝手に興奮して楽しんだ。確かにドローンで空撮したらそれっぽい感じになるのではなかろうか。
 吉原の小さな風裏になる浜で休憩し、このまま一気に米原まで行こうかと思ったが、せっかくだからと途中にあるクリスタルビーチにあがり、そこから歩いてそばを食べに行くことに。
 石垣島はちょっと海から中に入ると道路があり、集落があるので買い出しや昼食には困らない。今回の石垣島一周では昼食はほぼガイドの手作りではなく食堂で摂っていたように思う。
 「八重山嘉とそば」は手打ちの生そばとさっぱりとした出汁がなかなかうまい。ソーキそば大盛りで満足し、皆でカヤックの場所まで戻る。ちなみにこの上陸したクリスタルビーチ、名前がなんてキラキラなんだと思っていたが、川の河口にあり、本当に水晶が採れるというのだ。だからクリスタルなのである。
 ビーチの前にあるバリ(珊瑚礁の割れ目)から外洋に出てリーフの外を漕いでいく。うねりはほとんどなかったがリーフが狭いので沖の方が漕ぎやすい。米原はここからもうすぐだ。
 1340分、米原キャンプ場到着。
 予報通り、この後雨が降り出してきた。キャンプ場内に荷物を移し、タープテントを張ってベースを作ったが森の中のキャンプ場なので足元がぬかるみ、土が跳ね、あまりいいもんじゃない。キャンパーも少なかったので炊事場を一つ使わせてもらってそこに荷物をまとめた。参加者は早々にテントを張って停滞を決め込んでいる。
 だいたい雨対策は終わったのでウエットスーツを着て今夜のおかずを採りに。有名キャンプ場なのでみんな潜って同じような事しているんだろうなぁと思っていたが、意外や意外、けっこう魚はいた。ただ、雨が降って濁りが入る前だったので魚が見にくく、何とか一匹魚を突いて戻った。
 雨が本格的になってきた。タープの下で皆飲んでいたが、吹き込んでくるし、足元が水たまり化してきたので炊事場を一つ借り、そこで煮炊きはもちろん皆で食事を取ることに。
 蚊も多いし、何かとジメジメで不快度指数の高い夜だった。
 よく「海岸なんかでキャンプやって、気持ち悪くないんですか?」と聞かれること多いのですが、僕個人の考え、経験では色々なキャンプ場に泊まったけど天然の海岸でタープとテント張ったほうが断然快適です。もちろんケースバイケースですけどね。

 

528

 朝起きると、張りっぱなしにしていたヒルバーグのタープテントが雨水の溜まり過ぎで張り裂けていた。もう経年劣化が激しく寿命を感じていたが、もうこれは駄目だと諦めた。普通ならこの程度のたわみで割ける素材ではないので継ぎ接ぎしまくって使っていたが天寿を全うしたと思うべきだろう。だが今はまだ使わないと、ないと困るので3分の2を使い、何とか屋根を確保することになった。
 朝、奥さんに送られて酒井さんが愛艇のニンバス・ニヤックとともにやってきた。
 なんとか激務を合間を縫って遊びに来てくれた酒井さん。酒井さんがノースフェイス石垣店の店長になる前からの知り合いなので、今回石垣島を一周するというと「いいねぇ~それ!俺も混ぜてよ!」という事で少しばかりだが合流することになったのだった。ちなみに酒井さんは沖縄本島の老舗「漕店」の大城さんの右腕としてガイドをしていたバリバリのシーカヤッカーである。
 天気は嬉しいことに回復、青い空ものぞかせていた。
 朝、皆に酒井さんを紹介をすると米原を945分、出発した。
 この日は天気が回復したのは嬉しかったが、風がまわる予報で南風から西風を経て北風に変わることになっていた。変わるまでの凪の間にどれだけ移動できるか?がポイントで、ビバーク地もそれを考慮して考えなければならなかった。
 出発するとすぐに石垣島の人気スポットの「青い洞窟」沖に出る。興味があったので誰もいなければ入ってみたかったが、さすがに他のツアー客がいっぱいいたのでやめておいた。
 水産総合研究センターがあるあたりまでは石灰岩の海蝕岸が面白い海岸線が続いた。そこから浦底湾を横断して野底方面に移動する。
 野底には吹通川(ふきどおがわ)というマングローブで有名な小河川があるので、ちょっと見てみるかという感じで潮周りも良かったので寄り道してみることに。ここが思いの外立派で、マングローブの本場西表島のガイドである僕からしても「や、やるではないか~」と、見下した態度で来たのを恥じるほどの物だった。

 
 そこから沿岸を北上していくのだが、海岸の岩が琉球石灰岩ではなく火山性の岩に変わっていた。ちらちらと人工的な建造物が現れるものの、自然も多く残っておりなかなか漕いでいても楽しい区間だ。
 野底石崎を周り込み、伊原間集落に向かって漕ぎ進む。
 伊原間は石垣島の北に細長く伸びた半島の途中にある集落で、細くくびれた部分にあたり、東と西の両方の海をまたぐことができる場所だ。その為に船越という地名もあり、ユッカヌヒーの海神祭ではハーリー船を担いで船越えさせてから行うのがこの地の海神祭となっている。
 港の横にある浜に上陸し、港にてトイレ休憩、そして昼飯に。当初は有名な新垣食堂に行く予定だったが、酒井さんが電話すると時間が遅かったので完売とのこと!漁協の直売所も終わっていたようなのでどうしようかと考えていたのだが、実はもう一軒集落をぶらぶらしている時に見つけた店があったのだ。しかしあまりにも外観が独創的で店に入るには勇気と度胸と必要以上の好奇心が必要な店構えに皆、たじろいでいたのだ。
「仕方ないです、ここしかないから入ってみましょう!」
 そう言って特攻隊のごとくガイド赤塚入店。予想以上に異形な店内のディスプレイにぶったまげたが、お店自体はまだやっているようだった。店内は漂着物や貝殻で埋め尽くされており、腰をかがめて進んでいくと、座席があって順番に奥から席について行った。
「消防法に引っかからないのだろうか・・・?」
 そう思いつつも、あまりにもインスタ映えする店内にこれはこれでありだと納得し、皆各々注文。年配のご夫婦で経営されているお店だったが、味はまぁ普通。食事がやってきて黙々と皆食べ終わると、お会計を済ませて外に出た。
「すごいところに来てしまった・・・」
 ある意味、一人では絶対に入らない店だったので、こういう経験ができるのがツアーの良いところでもある。
 

 売店でちょっと買い物をし、カヤックに戻ると 14時過ぎに出発した。
 伊原間から明石までの間の西海岸はサビチ鍾乳洞があることからわかるように再び琉球石灰岩の海蝕岸となり、ここが思いの外よかった。カヤックが何艇か入れるかどうかの入江があったり、洞窟があったり、そこに覆うようにソテツが生えている光景はいかにも沖縄のカヤックシーンという感じで雰囲気も良く、地形も複雑で面白かった。
 

 明石を過ぎ、久宇良の手前にある浜に上陸し、そこにある洞窟をベースにして今夜の風周りを耐えようと考えた。
 1530分、本日のビバーク地決定。皆で乾杯した後、あまり流木がないので周辺の浜までカヤックを出して流木をあさる。この時、風が全くなくなり辺りはベタ凪になっていた。
 流木を拾い集め、皆各自まったりし始めた頃風が吹き出し、西からの向かい風が海岸にあたるようになってきた。ところが今回はちゃんと琉球石灰岩の隙間のビーチにタープを張ったので、中に入ってしまえば快適な空間となっていた。
 ゆったりと日も暮れて食事も済み、皆テントに入って就寝した後、潮が満ちると同時に風が強く吹き付けるようになってきた。テントで寝ていてもあまりにも波の音が近く感じたので夜中外に出てみると、カヤックのすぐそばまで波が打ち寄せていた。慌ててカヤックを引きづってより上にあげるが、この時何事かと思って出てきたのは酒井さんのみ。さすが元ガイドだ。思いの外風が上がったので打ち寄せる波のパワーがあり、こんな上まで打ちあがってきたのだろう。危ないところだった。
 それにしてもお客さんはイビキをかいて寝ている人までいた。通常ツアーならともかく、自艇参加者はもうちょっと自分のカヤックちゃんと管理しようよ・・・。

 
 
 

 

529

 天気は雨さえ降らないが曇り空。北東の風が強く吹き付けている。サーフは白波が舞っている。時化だ。けっこう停滞も覚悟してのことだったので朝はかなりゆっくり過ごしていたのだが、やはり少しでもいいので進みたいという意見が大多数だったので出発することにした。実際、リーフの中であれば大丈夫だろうと思った。
 酒井さんは伊原間まで戻ってバスでいったん自宅に帰ってからカヤックを回収に来るというのでここでお別れ。短い期間だったが僕も久々の酒井さんとのキャンプだったので良い時間を過ごさせてもらいました。
 10時過ぎ、出発。
 久宇良沖はモロに向かい風だったのと、サーフを越えたうねりがリーフ内でかったるい波を作っていてなかなか漕ぎにくい。途中あまりにも向かい風がつらいのでちょうどいいビーチを見つけては休憩したが、まだまだ行けるという意見が多いのでさらに北上。平久保川の流れ込む、有名な「SevenColorCafé」のある浜に上陸した。このカフェにこのメンバーで行くのは気が引けたが、さすがにここしか昼食を食べる場所がなさそうなので行ってみると、運がいいのか悪いのか、休業だった。仕方なく浜でランチを作る。
 昼食が終わるとさらに北上。13年前に八重山一周をした時にちょっと泊まってみたいと思った浜があったのでそこを目指すことにした。
 ところが北上すればするほどうねりも強くなり、キャンプに良さそうな浜があったので上陸しようとしたのだが、サーフ上陸の技術がないとキツイような浜だった。何とか皆無事に上陸したものの、潮上帯がどのへんなのかよくわからない浜だったのでとっても良いロケーションだったが、昨夜のこともあったのでここはパスすることにした。

 

 少し戻り、チェックしていた小さなビーチに上陸。この日はここにすることに。
 浜についてそろそろ食料も乾物系の物しかなくなってきたので海へ獲物を採りに。海は時化ていたが泳ぐぶんには問題ないので探し回るが、それほど珊瑚が発達しているわけではなく広く深い礁湖(イノー)だったので魚を探すのは大変だったが、何とかおかず分は獲れたので浜に戻る。ビーチでは皆タープの下ですでに盛り上がっており、急いで刺身を切って提供する。この夜は久しぶりに魚をメインとしたバジャウトリップらし夕飯となった。
 この夜は早くから島酒を飲んでいたせいか皆酔っぱらっており、いつもに増してテンションが高い。旅の中盤、昨夜の薄暗い洞穴ビバークと違って沖縄らしい白い砂浜とモンパの木陰でシチュエーションも良かったのだろう。
 悪ノリで浜にいたウミヘビを捕まえて食べてみることにも…。ちょうどカスタムナイフの製作者でもあるKWさんが自分のナイフの撮影用にと僕に持たせ、ウミヘビをさばいた。その時の写真が今の僕のfbの顔写真になっています…。
 ウミヘビはしっかり網でこんがりと焼き、皆で食べた。これが思いのほか美味くて、噛めば噛むほど味が出て酒のアテにはぴったりだった。
 泡盛一升を飲み干し、いつもより遅くまで飲むと、皆テントに戻っていった。

530

 翌朝はまだ曇ってはいるものの、風は収まり、場所によっては鏡のようにベタ凪になっていた。石垣島のハイライトともいえる平久保崎を周る日としては申し分ない。
 二日酔いなのかいつもに増して静かなお客さんたち…(笑)
 910分、出発。昨日上陸した浜も静かな波が打ち寄せている。静かで穏やかなリーフ内を切るように漕ぎ進む。
 昨日泊まろうと思っていた13年前に良かった浜はみごとに砂がなくなっており、とてもじゃないがビバーク地としては考えられない状況だった。やはり無理をしないで正解だった。
 石垣島最北端である平久保崎は崖に囲まれていて、上の部分は風が強すぎるためか大きな木は生えることなくほぼアダンに覆われており、今はところどころ牧草地になっている。だから白い灯台が周り込む前から見え始めていた。
 この日は南東の風が45/sという予報だったので、岬を周り込み、進めば進むほど向かい風が強くなると言った感じだ。だから正直岬自体は余裕で周り込む事が出来た。岬の先端には大地離島という島があり、そこまで広大なリーフに覆われている。だから岬特有の潮流やうねりの問題はない。ところどころ深くなり、サンゴが見えてきれいな海面をやや吹いてきた向かい風に向かって漕いでいく。
 もうそこからは誰も無駄口を吐くこともなく、黙々とパドリングをこなしていく。御神崎の時のようにいったん上陸して灯台まで上がろうかと当初は考えていたが、前回のこともあってやめておいた(笑)むしろとにかく漕ぎ進みたい感じだった。

 
 

 北東端浦崎を周り込むと、いよいよこの石垣島一周も折り返し地点。南下をしていく。
 この辺りはひじょうに景色が広大になる。それまでの石垣島の風景より、明らかに空が広くなり、リーフも広くなり、内陸に見える山の壮大さが目立つ。おそらく人工物が極端に減るからだろう。これといってカヤックを漕ぐうえでは何かがあるわけではないのだが、漕いでいて見える風景はなんとも爽快感がある。空も青空が見えてきて、日差しが強くなったのももちろん関係あるだろう。ただ、潮が結構引いていたのでところどころサンゴが浅い場所もあり、トレースラインには気を遣うことが多かった。
 明石の北、安良崎のふもとの浜に上陸。昼食とする。ここまで来るとけっこう代わり映えしない風景に飽きている人もいたり、向かい風に押されてやや疲労がたまってきた人もいる。何よりそれまであまり暑さを感じる事がなかったのに晴天のせいでバテる。1130分と少し早かったが上陸し、昼食を食べると12時半には出発した。
 ここから明石までのパドリングはなかなか海がきれいでよかった。
 明石はパラグライダーで有名で、明石のくびれた地形と海からの風、急峻な山が良い上昇気流を作るのだとか。ちょうど明石の海岸に上陸しようとしたとき、上空にパラグライダーが飛んでいた。
「あーっ!」
 上陸そうそう、買い出しに行こうと財布をあさっていたらTMさんが狼狽している…。
「スイマセン、財布をさっきの浜に置いて来てしまったようなので取りに行って来てもいいでしょうか…」
 ええ~!さっきの昼食した浜までここからだと一時間ばかりかかる。それにお客さん一人で行かせる単独行動はガイド的にはかなり困る。僕自身昔、知床で勝手に忘れ物を取りに行ってシコタマ怒られた思いがある。とりあえず皆で買い出しに行き、そのあと皆で戻りましょうと提案して、まずは集落に買い物に行くことに。もちろんお金は貸すことに。
 トンネルのようになった防風林を抜けて集落に出ると、正直どこなのかよくわからなかった(笑)彷徨いに彷徨ってなんとか共同売店を見つけて、ここで最後の買い出し。冷たいビールと氷が買えたのは良かった。県道沿いの道の駅で水も補充し、ビーチに戻った。
 一足先に戻っていたTMさんが安堵した顔待っていた。
「スイマセンでした!ありました財布…」
 何でも財布の入った防水バックをカヤックのいつもの場所以外におもむろにしまってしまったようだった。たぶんそんなことだろうと思っていたので無駄に往復しなくて皆安心した…。

 
 
 

 明石を出発し、そびえる岩がなかなかの迫力があるトムル崎を周り込むと、ちょうど伊原間までの間には道路から普通は入れないビーチが広がり、伊原間以降はなかなかテントを張るにははばかれる場所が続くので、この辺に今日の天場を作る予定でいた。
 白い砂浜で広い砂浜、適度に磯もあり荷物を置くにもいい浜が見つかったので本日はここまで。明日の行程を考えるともうちょっと漕ぎたい気持ちもあったが、せっかくのきれいなビーチ、晴れ間なので早めの上陸とした。
 15時到着。せっかく冷えたビールがあるという事で乾杯。
 これが昨日の夜疲れと相まって効いたのか、皆この日は疲れ気味…。各自天場を決めてのんびり過ごすとまったりし始めた。僕とKWさんはせっかく海が良いので潜りに。
 最初はあまり魚影が来いとは思わなかったが、沖に泳いでいくといくぶん魚も現れてテンションが上がってきた。さっそく良い魚がいたので一匹突き、それを持って泳いでいたら西表島ではあまり見ないツマグロ(ブラックチップシャーク)が現れてちょっと焦る。
 しかしその帰り道、なかなか深くて広いイノーに出くわし、そこのハマサンゴの大きな根が漁礁になっていて多くの魚が群れていた。透明度も良く、魚も擦れていないのでやっと石垣島で魚に癒されることになった。もう一匹追加してビーチに戻る。
 この日はこのツアー始まって以来、初めての星空が見られたのだが、どうも皆さん疲れが出ているのかテンション低め。昨夜が盛り上がり過ぎたのだろうか?星の写真などガイドが撮っている間に皆さん就寝。ツアーもあと二日に迫り、明日は南風が強く吹くのでどの程度漕ぎ進めるのか、全員のペース配分が気になるところ。なかなか寝付けないでいた。

 
 
 

 寝付けない理由はもう一つあった。
 友人が亡くなったという訃報が突然入ったのだ。
最初は何かの間違いだと思って冗談だと思っていたが、そんな冗談を言う奴がいるわけもなく、じわじわと彼との思い出が浮かんできた。
僕と同年代、1978年生まれ。20代からシーカヤックをはじめ、同世代にそれほどカヤッカーがいなかった中、彼と出会った時は数少ないシーカヤックの友人として勝手にソールメイトのような印象を受けていた。瀬戸内カヤック横断隊で出会った彼は、年に一回、西表島のツアーを企画してわざわざうちにガイドを依頼してくれていた。魚突きをやって海に潜る楽しさも共有した。そしてこの年、自分のお店をついにオープンしようとしていた矢先だった。
 ツアーとはいえ、海旅の途中で聞いた彼の訃報は胸に刺さった。あまりにも深く刺さり、血は出なく、痛さも感じず、もう抜かなくていいからそのままツアーを行いたかった。抜いて受け入れてしまったら海旅をする上での緊張の糸が簡単に切れてしまうような気がするほど、彼の死はショックだった。だから僕は彼のことはまずは心にしまうことにした。
 

531

 天気は良好。風も思ったほどは強くなかった。
 正面から上がる朝焼けを眺めながら朝食。
 島の山にかかる雲が湿気を帯びており、今が梅雨であることを物語ってはいたが、夏の雲が上がり、青空がまぶしい。
 いつも通り、9時過ぎに出発。本日もとにかく漕ぐ一日になりそうだ。

 10時頃、玉取崎通過。
 玉取崎は展望台から海を見ると確かにきれいなのだが、海を北から漕いでやって来てみるとどんどん海の色が霞んでくるのでイマイチ頑張って浜から歩いて行ってみようとは僕も思わないでいた。岬の先端にあるロックガーデンの陰に入って休憩。普通に止まっていると向かい風に押されてどんどん引き戻されてしまう。
 11時過ぎに伊野田漁港に到着。
 この港の脇にカヤックを係留して歩いてそばを食べに行く。港を出てしばらく歩くとそば屋があるはずだったのだが、なかなかたどり着かない。
「あれ?県道でたら右だったっけか?」
 ちょっと疑心暗鬼になりかけた頃、目の前にそば屋が現れた。見た瞬間、閉店となっていたので焦ったが、ちょうど1130分に開店だったので店主がやってきて暖簾を出した。伊原間や平久保の件があったので動揺したが、ぶじそば屋にてそばが食べれて安心。
 しかしオープンしたてでまだ仕込みもままならなかったようで、注文してから料理が出てくるのはけっこう待った。みんなでゆんたくして待っていること30分くらい?やっと出てきたそばを5分で食べてしまい、カヤックのもとへ。
 潮が引く時間だったので、カヤックは深場にアンカーを打って係留していたので座礁せずに済んでよかった。そのままカヤックに乗り込んで1245分出発。

 午後になってちょっと風が強くなってきた。漕いでいて気持ちの良い風からちょっと抵抗感のある風に変わっていた。こうなるとスタミナの差が如実に現れてくる。TMさんはもともと向かい風に弱い人なのでやはりじりじりと後退してしまう。かといってレースにも出るKWさんなどは向かい風になると勝手にゾーンに入ってしまい、見境なく漕ぎ進んでしまう。この個性豊かな(?)参加者を上手くまとめてできるだけばらけさせないように漕ぎ進むのは、やはり牧羊犬的な役割もしなければならない。先頭に行って少し待ってもらったり、後部に行って一緒に頑張ってみたり。今回初参加のTKさんも漕ぐ力があり、グイグイと付いてくる。ペースに安定感があってありがたい。
 野原崎の先端のロックガーデンは潮が引いてちょっと焦ったが皆中を通って通過。
 この岬を周り込むと、正面に広い空間が現れて時々飛行機が下りてゆくのが見えるようになってきた。正面にはカラ岳。新石垣空港沖までやってきた。
 石垣空港の北部、ちょうど採石場があるあたりを過ぎたあたりは小さな砂浜が点在し、ビバークしても良いかな?という浜が続いていたがまだまだ漕げるのでそのまま南下を続ける。この辺で飛行機が着陸するために急激に陸地に接近するのでなかなか迫力がある。皆、カヤックと飛行機を入れて写真を撮ろうと躍起になっていた。
 リーフ内は浅かったが、十分漕げる水深はあった。
 向かい風はしんどかったが、どうも潮が味方してくれていたようで思いの外進む。轟川河口付近にたどり着いたころはまだ1440分。想像以上に速いペースで南下することができていた。遅れ気味の方々も「マイペースで漕がせてもらえれば全然大丈夫です」と気もちいい疲労感といった感じの顔だったので問題なしだ。浅いのでカヤックから降りて背伸びなどし、腰を伸ばして休憩した。
 ここからもう少しで目的地の白保なのだが、どうも空港を通過して集中力が切れたのか、みな急激にペースが落ち、疲れが出たようなパドリングフォームに変わってしまった。日が差してまた熱くなってきたのもある。干潮で潮が暖められてお湯みたいな海からの風も疲れを助長する。
 白保沖は確かにアオサンゴなどで有名な立派な礁湖があるので深く、サンゴもきれいだった。ただ、サンゴを見るために沖を通ろうとしても皆疲れて最短距離で先を急ぐので岸寄りに戻っていく。結局中途半端なコース取りになり、あれよあれよとしているうちに白保集落にたどり着いた。1540分。
 ちょうどユッカヌヒーの海神祭前なので白保の海岸は重機で均され、ハーリーの舟が海岸に出されていて、公民館前に多くの男たちが集まっている所だった。そこはさすがに通れないので端の方の海への通路の前に上陸し、潮上帯までカヤックを揚げた。重機のオペレーターに確認してカヤックが邪魔じゃないか聞きに行くと問題ないとのことだった。
 白保は集落なのでキャンプではなく民宿を予約していた。朝、出艇する前に皆で確認を取り、今日は民泊することにしていた。海から一番近い宿を探し、あれこれ探しているうちに何件か目でやっと予約がとれた。当日なのにありがたい。宿は「民宿イラヨイ」。運が良いことに海岸から集落に入って通りをまっすぐ歩いたらその宿はすぐにあった。必要なものだけ持って宿に行く。
 チェックインするとしばらく各自自由に休憩してもらい、夜は白保の飲み屋へ。まだゴールしてないけど生ビールの魔力には勝てず2件も行ってしまい、最後の店ではヤギ刺し食べてエネルギー満タン。明日の最終日は天気も持ちそうなので、何もなければゴールは余裕だろう。

 

61

 

 いよいよ最終日。この日は白保から宮良湾を横断してリーフの中を通り登野城漁港の東の端にある公園に上陸する予定だった。
 昨日までと違って今日は潮があるうちにゴールしたかったので7時浜に集合。ゴロタ岩の隙間に砂のビーチが出ていて出艇は楽だった。皆でカヤックを運び出し、最後の出発恒例の記念写真を撮って船出。
 白保を出てから宮良湾を横断するまでは青空も出て快適なパドリングだ。伊達に7週間も連続で漕いでいるので身体も出来上がっていてパドリングの体への負担も心地よい。上空には昨日と同じく飛行機が真上を滑空していく。
 しかし横断が終わり大浜のあたりにたどり着くと、この辺りは浅いとわかっていたけどやはり浅かった。座礁してしまい、仕方なくしばらくカヤックから降りて引っ張って歩くことに。「ワタンジ(渡路)」と呼ばれるサンゴ礁が盛り上がって人が歩ける通路みたいになっている所があり、そこが浅いので満潮のうちに通りたかったのだが。
 リーフエッジまで出てカヤックに乗り込むと、再びリーフ内に入ってANAコンチネンタルホテル沖を漕いでいく。南からどす黒い積乱雲がやってきており、あれがやって来る前にゴールしてしまいたい…。できればカヤックの解体も済ましてしまいたい…。
 リハロウビーチを通過し港の横にある雁木状のコンクリートに到着したのが910分。
 不完全ではあるが無事、石垣島を一周した。
 滑りやすいので皆注意しながらカヤックを上にある公園まで上げ、そこでさっそく解体に移る。僕はコンビニまでビールを買いに行き、皆でゴールした祝杯をあげた。

 
 

 

 
 

 その後、少しだけ雨に降られてしまったがここでもアツシの援助のもとカヤックをバラし終えると郵便局まで運んでもらいお客さんのカヤック全て送り終えることができた。当初は宅急便で集荷サービスを使う予定だったが、アツシのおかげで郵便局から安い値段で送ることができて助かった。
 実はここで僕は諸事情でいったん西表に戻らないといけなくなり、自分のカヤックとキャンプ道具とともに西表島に戻り、最終便で再び石垣島に戻ったのだ。その間、皆さんホテルにチェックインしたり、カヤックなどを配送する時間にあててくれた。
 夜は最後の打ち上げという事で7日間漕ぎまくったので石垣島という事で石垣牛の焼き肉!うちの妻と子供も参加させてもらい、参加者はもちろん、アツシと彼女も参加してもらった。ツアーの解放感ももちろんあったのだが、同時に家族と会ったから急激に現実にガイドは引き戻されてしまい、たじたじ…。家族を置いて2次会は参加者だけで行い、最後にお礼を兼ねてアツシたちと3次会。最後に〆のバーに行ったのはここだけの話である…。
 石垣島は夜が深くて、ついつい飲み過ぎてしまうのです。
 
 これにて、年に一度のロングディスタンスツアー。終了。
 翌日、参加者は各々、家路に付いたり、別の旅行に出たりしたのでした。
 


 
 昨年度の石垣島一周が終わってちょうど一年経った今、こうやってレポートを書こうと思ったのは「レポート」にて昔やった「YAIMA EXPEDITION」を読み直して「そういえば、石垣島一周のレポート、書いていないな」と、思い出したこともあり、やはり記念すべき初めての石垣島一周ツアーだったという事で書き始めたこともある。
 だが、何故書こうと思わなかったのかを思い出すと、その年の5月30日に連絡があった友人の訃報のことがあった。
 奇しくもちょうど、一年前だった。
 友人の名は楠大和。
 楠さんが独立したという事で、色々と話を聞くため、仕事の話をしたくて久々に2019年11月は瀬戸内カヤック横断隊に参加するつもりでいた。それがこの訃報を聞き、さらに同年7月に行われた国立科学博物館主催の「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」に参加した横断隊初代隊長、内田さん、現隊長原さん、隊士でもあった田中さんなどと話をすることで横断隊に行かねばならない気がしていた。少なくとも彼のパートナーである篠ちゃんには会いに行こうと。
 でもその一方でまだその現実を受け入れかねる自分がいた。
 意味が解らねぇと。
 
 4年ぶりに参加した瀬戸内カヤック横断隊だったが、新しいメンバーも増え、古参の方々も僕のように久しぶりに参加する方も多くいた。そして篠ちゃんと会って色々と話を聞いて行くうちに「ああ、やっぱあいつ、本当に死んじまったんだな…」と思えてきたのだ。特に最後に彼の故郷にたどり着いて実父さんに会って熱い握手を頂いた時、やっと涙がこぼれてきた。
 僕にとってカヤックというライフスタイルは色々なものを与えてくれたと共に、多くの物も奪っていた。熱く語り、共に笑って、同じ価値観をしていた友人たちの死は重く辛い。中には自分たちの冒険で海に消えた人たち。カヤックのツアー中に消えてしまった人もいる。楠さんは事故ではないが、でも数少ない同じ価値観を共有する同級生だった。
 その彼の死をやっとこの一年間で受け止めることができ、このレポートを書こうと思えたのでした。どうしても、石垣島一周を思い出そうとすると、訃報を聞いたあの時のざわつきを思い出してしまうからです。
 楠大和の冥福を心から祈ります。
 
 個人的な出来事によって、石垣島のレポートが遅れてしまったことは申し訳なく思っています。実際、石垣島一周はツアーとしてはとても新鮮で、カヤックガイドとしても通常のガイディングとは違う海旅のセンスを必要とするワクワクするものでした。メンバーにも恵まれ僕自身たいへん楽しませてもらいました。この場を借りてありがとうございます。参加された5名の方々へのお礼とさせていただきたいです。
 
 新型コロナウィルスの影響で今後のツアーのやり方、世の中のツーリズムの在り方が変わることはあると思いますが、カヤックを漕ぐ行為に何も問題はないと思います。
 旅人は確かに多くの疫病を他の土地にバラまく行為を行い、悪意がないとしても多くの命を奪う機会を作ってきた歴史があります。しかし旅人によって多くの有益なものが流れ込んでいったのも事実であり、その土地だけではどうしようもなかったことが持ち込まれた医療や薬、知恵によって改善されたという歴史もあります。
 人間にとって重要なものを探り当て、それを軸にしながらもケースバイケースにその時々で必要なことを臨機応変に対応しながらチョイスする。
 僕にとって旅やカヤックはその重要なものを探り当てる有力な物のひとつであり、行うべき価値のあることだと信じています。
 今行っているバジャウトリップのツアー形態、営業方法は変わっていくとは思いますが、皆さんと漕げる日を、行きたい場所に自分の力で漕ぐことを、ただ僕は楽しみにしております。