西表島のカマイ猟               

2001年11月15日〜2002年2月15日


 11月も終わりに近づいたある日、いつものようにジュンコに餌をフォークで運んでいると、餌置場にある蛇口で誰かがバカでかいマチェットの様な鉈を磨いでいた。よく見るとバスの運転手の一人、Uさんだった。
 あまりにも物々しい刃物を磨いでいるので何に使うのかと聞くと、イノシシ狩りに行くのに使うらしい。
 11月15日からイノシシが解禁になる事を知っていた僕は色々質問しているうちに「一緒に行くか?」という話になった。「ぜひ連れて行ってください」とその場では言ったものの、どうせいつもの社交辞令だと思い忘れかけていた。
 ところがその後、同じ職場のMさんに「おまえイノシシ獲りに行くんか?」と聞かれ、何でこの人が知っているのかなぁと思ったらUさんが「おまえ所の若いの、一人借りていくからな」みたいなことを言ったらしく、「あの人滅多にそんなこと言う人じゃないから、しっかりやれよ」と念を押された。
 まさに僕にとっては「棚からぼた餅」的なことで、実は西表島で生活する上でどうしてもやりたかった3つの事に、このカマイ猟があったのだ。
 それまではキビ狩農夫の手伝いをすれば連れて行ってくれることもあると聞いていたので、キビ狩りでもやるかぁと思っていたくらいだから、まったく願ってもないことであった。
 なかなかUさんの休みと僕の休みが合わず、最初に二人で行ったのは年も暮れ出す12月21日だった。朝10時頃来ると聞いていたのにUさんはなかなかやって来ない。おっかしいなぁと思いながら寮で待つこと4時間。
 「ワルイ、ワルイ、急にトラクターが壊れちまってよぉ」
 そう言い訳をしながらUさんは底の抜けた軽トラでやってきた。まさに“八重山タイム”である。大富売店で弁当を買い、一路罠の仕掛けてある高那の先まで行った。
 県道から牧場を横切り森の中に入ると思ったほど下草は生えていなかったが起伏が激しく、網目状に沢が流れ、陽がほとんど差さないまさにジャングルといった感じの森で、ガジュマルやアコウなどの絞め殺し植物やツルアダンやモダマなどのツル植物がまるでここは本当に日本なのか?という錯覚さえ起こさせた。
 そんなジャングルに圧巻している僕にUさんは「兄弟は何人だ?」「大学生だったのか?」「女はいるのか?」といった日常的な話を振ってくるのでなんか変な気分だ。よく考えたらそれまで僕はほとんどUさんと話したことなどなく、今でもよく俺なんかを連れて行く気になったものだと思う。愛知で働いていたこともあるらしく、そんなに言葉も性格にも癖がない人で話しやすい人であった。
 そんなとりとめもない話をしながら険しい山道を歩いていった。

 しかし西表島の山の険しさは半端ではない。縦走経験者の話などを聞いただけでは「まぁたいしたことはねぇだろ」と高をくくっていたのだが、実際歩いてみるとこれがすごいのなんのって。

 沢が何本も蛇行しながら流れているものだから何度か沢を通っても「この沢はこっちからこう流れているから・・・」とか「さっきそこを渡ったから今はここら辺で・・・」などの自分の位置関係が掴めない。さらにその沢によってやわらかい西表の岩は削られて起伏が激しく、急勾配の道を登ったり降りたりし、ほとんど道無き道を行くものだから立体迷路を歩いているようでUさんと話しながら行っていたためか自分が今どこにいるのかサッパリわからなくなった。はぐれたら大変だ。「山勘はいいほうか?」と聞かれ「方向音痴ではないです」と答えたものの、ちょっと西表の山を甘く見ていた。「ぱぴよん」の山元さんに「西表の山は地図見たってわからないよ。ルートファイディングもほとんど関係ない」と言っていた意味がよくわかった。
 Uさんがさっさと歩いている後を、苔に滑り、ツルに引っかかり、根っこに蹴躓きながら何とかついていくと、急に立ち止まり何かを指差した。
 「あそこに罠あるの、わかるか?」
 指の先には「U」と書いた白い名札があったので何かがあるのはわかったが、果たしてどれがそうなのかはサッパリだった。
 「これだよ、これ!」
 そういってUさんは弓なりに曲がっている棒と、その先にある二つの丸太を指した。それが西表島のほとんどの人が使っている罠、「タイワン式ハネ罠」だった。

 仕組みは単純。ワイヤーを張った穴にイノシシが足を落とすと棒が跳ね上がり、イノシシの足をくくり揚げてしまうというものである。罠はイノシシの獣道に仕掛けるので罠師はイノシシがよく通る道を見極め、どっちからどっちに抜けるか・・・といった知識も要求される。Uさんは一つ一つ罠を見回りながら、なんか変化があると「これはな・・・」と、丁寧に教えてくれるのだった。
 
 たとえば「チキショウ、このイノシシ、罠の手前まで来て引き返してやがる」とか「この罠はイノシシが通っているけどうまくワイヤーにかからなかったんだなぁ」とか、獣道に残された足跡や、周りの草木の向いている方向、泥の有無(“ヌタバ”と呼ばれる泥浴び場から来たイノシシは泥まみれなので通った跡が残る)、木の幹に牙でつけたマーキングの跡などでわかるそうだ。まさにハンター(正確にはトラッパーか?)といった感じでカッコいい。
 山を歩きながらUさんは僕のくだらない質問にも答えてくれた。おかげで色々な樹木や草の名前、その使い方なんかを教わったが、面白かったのはイリオモテヤマネコのことである。

 ヤマネコは基本的には罠にかからないが、昔、鉄砲で獲ったというイリオモテオオヤマネコを見たことがあるそうで、地元では「ヤマピカリャー」と言われているそうだが、「結構うまかった」と、普通に言うもんだから「ヴーン・・・本当にいるのか?」とも思ってしまう。
 山を結構登った丘陵地帯で罠がなくなっている所があった。周りは草木がメチャメチャになっていて、泥が飛び散っていた。
 「きっとマギー(大きい)のがかかって暴れたんだ。まだその辺にいるかもしれないからな、bajau!!探せ!!」
 でかいのがかかった場合、イノシシは足に罠をつけたまま棒を引っこ抜き、引きずって逃げてしまうことがある。しかし3mもある棒をぶら下げたままだからどっかで引っかかって動けなくなるというのだ。

 マギーマギーと聞いて、ちょっとビビってしまった自分が恥ずかしかったが、山の上に探しに行ってしまったUさんを尻目に僕も周辺を探した。

 結局このイノシシは見つからず、この日は罠を一つだけ作って山を降りた。帰りのトラックの中でしきりにUさんは「おっしいなぁ、悔しいなぁ」と愚痴りながら運転していたが、内心僕はホッとしていた。
 
何だかんだいってはじめて獣を獲るというのはドキドキするもんだ。
 2度目はその4日後の25日で「クリスマスプレゼントがあればいいけどなぁ」なんて言っていたがやはりこの日もイノシシは獲れず、罠を7箇所作っただけだった。3つか4つは僕が作り、Uさんの受け売りだったが、1つは場所まで自分で決めさしてくれた。
 この日は何より壁のような場所を岩や木の根っこをたよりに登り、さらには鉈でバッサバッサとヤブこぎして進むといった川口探検隊(古いか?)のようなコースを歩き、「もしこんな所でイノシシが獲れても、運ぶことができるのかぁ?」と、一人で自問自答していた。
台湾式ハネ罠は、昭和の始め頃に炭鉱夫としてやって来た台湾人によって伝えられたと言う。それまで、西表の人たちは犬と槍を用いて、もしくは落とし岩を用いた罠で捕獲して食料にしていたが、主な理由は田畑の作物を守る為、ということのほうが強かったらしい。
 イノシシが獲れたのは年が明けた1月28日。3回目のチャレンジの日だった。
 「だいぶ雨が降ったからな。今日は獲れるぞ」
 イノシシは鼻がいいので人間の臭いや、ワイヤーの金属臭、ヤブこぎで切った時の木の匂いなどが残っていると警戒して罠にかからない。ション便も罠かけの時は我慢するか沢の中にする徹底振りで、それが雨が降ると臭いが消えて罠にかかりやすくなるというのだ。
 この日もトマトの支木が倒れたから直していたというイマイチ納得できないが仕方ない理由で午後からの出発になった。
 時間が無いと言って軽トラを限界スピードまで飛ばしながら娘さんの進路相談などを受けつつユツン川手前のポイントまで行った。尾根沿いに山を歩き、罠を見回ったがイノシシはかかっておらず、そのまま渓谷まで降りて罠を見ながら谷を下っていった。
 雨が降ると川ができそうで、シダ類が凄かった。3回目にもなると獣道もわかり、イノシシがシイの実などを食べた跡などもわかるようになってきて、「オマエ、なかなかセンスあるよ。来年はお前一人で山入って獲ってこい」と、冗談なのか本当なのかよくわからないことを言ってくれた。なかなかうれしい。
 そんな中、急にUさんが立ち止まった。木の陰でよくわからなかったが、回り込んで見るとそこには横になって暴れるイノシシがいた。
 「おめでとう、いやぁ、やったなぁ、よかった、よかった」
 結構あっけない発見ではあったが、とりあえず二人して喜び、僕は僕で「あ、けっこう小さいんだ」とホッとした。イカツイ50キロくらいの雄イノシシが牙をガチガチやって暴れていたらどうしたものかと、結構不安だったのだが、目の前のイノシシは20〜30キロくらいの雌であった。
 Uさんは早速ワイヤーのかかっていない後足を掴み、荷造り用のパッチで足を固定してしまい、その足を僕に持たせてからから頭を足で押さえつけ前足を縛り付けて、そのまま口もツルでグルグル巻きにしてしまった。
 牙を擦るガチガチという音と、荒い鼻息、ギョろっとした眼が野生を感じさせ、必至に抵抗する姿が不憫にも感じたがイノシシはまるでショルダーバックのようになってしまい、僕に担がれて山を下ることになってしまった。
 肩に食い込んだツルが暴れる度に痛くて重さよりもそれが嫌で、さらに急な崖道をそいつを担ぎながら歩くのは至難の技であった。

 30分ほど担いで山を下ったが、途中でUさんが道を間違えてしまい、僕も肩が痛くて我慢の限界だったので変わってもらってしまった。今思えはすぐに県道にはでられたのでガマンして最後まで背負っていればよかったと思う。急に登山道のようなところに出たかと思うとアスファルトの道が見えた。

 Uさんが軽トラを取りに行っている間、僕はイノシシと一緒にいた。
 彼女はものすごい形相で僕をにらみ完全に威嚇していたが、時折諦めたのか遠くを見るような目になり、まつ毛のある瞳で瞬きするのであった。
 それがあまりにも哀れに感じてしまい、不覚にも「かわいそう・・・」と思ってしまった。普段さんざん魚を殺して食べているくせに同じほ乳類で表情があるからという理由で同情するとはずいぶんと勝手な事だと思うが、しかしそれでもほ乳類の殺生はつらい。

 「別にこいつを食べなくても俺は生きていけるんだよな・・・」とも思ったが、それならば最初からこんなことに首を突っ込むべきではないのだ。生きている者は何かを殺さない限り生きてはいけないのである。その殺した者のためにも自分は一生懸命生きなければならないのである。そう思っていた僕はこのイノシシ猟に行ったことにより、いっそう殺生の重要性を認識したのだった。
 そんな僕だが、イノシシを解体するためにUさんの牧場に戻った時には「イノシシってどうやって解体するんだ?」という自分の興味のことでいっぱいになり、彼女を殺すことには何も抵抗がなくなっていた。
 牛小屋には迷い牛が一頭さまよっていて、隣の植付けが終わったばかりのキビ畑でサトウキビをモシャモシャ食っているのをUさんと二人で追い払い、その後さばきにかかった。
 よく研いだ包丁を左前足の付け根に刺すと包丁は心臓に届き、大量の血が吹き出した。この「絞め」は僕がやったのだが、その時の肉を刺す感触はなんとも嫌なものだった。
 そして思わず逝く寸前のイノシシの目を見てしまった。その時の眼があまりにも衝撃的だったので思わずUさんにこぼすと、
 「眼を見るな!!」
 と、一喝されてしまった。
 それで自分がなんだかとんでもない事をしたような、大切な掟を破った、タブーを犯してしまったような気がして、その言葉の真意が何にせよ、僕は殺しの重大さにまい戻った。
 その後の解体はほとんどUさんがやった。
 ガスバーナーで毛を焼いてナイフでそげ落とし、水に入れてふやかしてからたわしで洗いきれいにする。その後頭を落とし、肛門の周りに切れ目を入れ腹を割いて内臓を一気に取り出し、魚みたいに3枚におろして足の骨と肩甲骨をとって終わった。
 途中から雨が降ったがかまわず行われ、帰る途中に軽トラに詰まれたイノシシを見たのか色々なギャラリーが来ては肉をもらっていっていた。
 僕も肩肉の部分と骨、内蔵をもらったが肉は実家に送って自分は内蔵しか食べなかった。
 でもこの内蔵だけで3日食べるのにかかった。精力増進作用があると聞いていたが、これはかなり困ってしまったほどその晩効いてしまい、一人身の僕には必要ないパワーアップだった。
イノシシの解体
@まずバーナーで体表を被う毛を焼き落とす A水につけてふやかし、金タワシで汚れを落とす B首を落とし、腹を割り、肛門の周りを円を画くように切る
C横隔膜を持って、一気に器官器系、消化器系の内蔵をはがすように取り除く D魚と同じように3枚におろす E足の骨を取り除きいっちょ上がり。肉は切り分けて、内蔵は中身が入っているものは扱き取る
 魚釣りをさんざんやっている僕にとっては陸での『漁』ではない『猟』はとても興味があった事で、また「殺す」といったこと、「食べる」といったことでも魚類、鳥類以外のものを経験できたのはとても価値ある事であった。

 別項(日々漕想参照)でもあげるが、現代人が自然に対して高慢になったのは殺しの現場にたずさわらなくなったから、あるいは自分で獲って食べることがなくなったからだと僕は思っていて、『食べる』という行為によって人間は始めて自然と向き合えるとも僕は思っている。

 より人間に近いほ乳類のイノシシを獲って殺して食べることは僕に殺す意味、生きる意味までも考えさせた。


このような貴重な体験をさしてもらったUさんには大変感謝いたします。この場を借りて、お礼とさして頂きます。ありがとうございました。
そんでもって、また猟期に行くことになったら、連れてってください(笑)!!

2002年「南の風が見える島で」より

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