5月3日 船泊→知床岬→落合湾(通称)

 

 この日も朝から雨。しかし、風は止みつつあった。
 十分、出発できる・・・!
 しかし、問題は壊れた舟だ。何艇かはまだ水漏れの心配があり、それを修理する必要があった。タープテントの中に熾きになった焚火台を入れ、その上にカヤックを置いて乾かしながら修理する。煙に燻され、喉がガラガラになりつつ作業を続ける。だが、滴る雨でなかなかFRP樹脂が固まらず、ダクトテープを張り、簡易な物理的処理を施して出発する事になった。
 出艇前、雨は止んだ。
 強風で上陸した時に無造作に置いていた物は吹っ飛んでしまい、そうならないように皆で他人の物も預かったりしていたので、スプレースカートやPFDなど、各自おろおろしながら探し回る。厳しい環境では装備の欠損は重大な痛手となる。放置癖のある僕のような人間は注意しないといけない…。
 行動食を各自持ち、12時頃、出発となった。
 海はうって変わって静かな物だ。うねりこそあるものの、波はほとんどなく、漕ぎやすい。
 新谷さんに話を聞いたところ、今回は知床岬をまわるのは出来ないかもしれないとの事だった。チーム全体の漕力を考えると、よほどのことがない限り、岬をまわってウトロまで行くのは無理だと判断したのだろう。僕自身、今回は岬越えは無理かもしれないと思っていた。だから今日はペキンノ鼻を越え、赤岩あたりでビバークし、翌日、岬を見てから羅臼に戻る物だと思っていた。もし仮に一周を敢行するのならば、今日中に落合湾には行かないと無理だろうと思った。
 ペキンノ鼻は意外とすんなり通過でき、その裏にある番屋のある浜に上陸した。
 そこから歩いてペキンノ鼻にある鳥居を目指す。
 羅臼の漁師が航海安全を祈って祀ったと言われるこの鳥居を、新谷さんは毎回訪れると言っていた。しかも今回は今年一発目の一周である。かならず寄るものと思っていた。
 荒涼とした山の稜線を登って半島の上に出ると、05年の夏に来たときとは違い、草木が生えておらず、殺風景な枯れた草原の中にポツンと生える木の前に社が祀ってあった。
 陸の上から海を見ると、遠く国後がはっきりと見え、チャチャヌプリの山頂に若干の雲がかかっていた。
 しばらくの休憩。ここは何度来ても眺めがいい。夏と違って春は命の気配が少ない分、寂しさはあったが、大気と大地の威厳は感じられる。足元には獣道があり、その道沿いには多くの鹿の角が落ちていた。ここでもホーン・ハンティング。たくさんの鹿の角が拾えた。
 1時間ほどの休憩の後、再び出発。天気も風も、どんどん良くなってきているのがわかる。

 

 海は凪ぎになってきていた。73回目で最後のビバークをした「滝の下」を通過し、F寺さんとSさんが沈した念仏岩の沖も通過するが、当時の荒れた光景がまるで嘘のように、海面は油を流したように凪ぎ、岩の上で草を食む鹿の姿を確認できる余裕があるほどだった。
 僕の中で勝手に今日、ビバークするであろうと考えていた赤岩海岸を過ぎ、隊長はこう、皆に告げた。 
「え~、思ったよりも海がこんな感じなので(笑)、今日は岬を越えます!」
 ひょっとしたら、岬越えもあるんじゃないか・・・。そう考えていた僕とPACEさん、グッさんはそれを聞いて顔を見合わせた。顔はお互い、ニタニタ。面白い事になってきたぜ!
 赤岩を越えると、船隊は一列になり、細い半島の水路を漕いでいく。遠浅の知床半島先端部は隠れ根が多数、存在し、その隙間を縫うように新谷さんは船隊を導いていく。
 15時過ぎ頃だろうか…。知床半島通過。左手に切り立った台地の上に知床灯台が見える。飛び交うウミネコ、カモの仲間が海面を走るように飛び出していく。右手には太陽がすでに傾き、オレンジ色の光を放ち始めていた

 途中、上陸し休憩。長いことカヤックに乗っていたので小便がしたくてたまらない…!
 切り立った台地を熊が走っていくのが見えた。知床に来て今回、初の熊を見られた。稜線には猛禽が多数とまり、時たま飛んだり、こちらを見たりしている。杉さんに聞いても、幼鳥なのでオオワシかオジロかはわからないらしい。ともかく、猛禽はかっこいいな。
 目的地だと思われる落合湾は後もう少しだ。15分ほど休憩したのち、すぐに出発となる。
 ポロモイ湾を横断し、目的の入り江が見える頃になると日はかなり落ちてきていた。飛び交う海鳥の中を漕ぎ進め、船団は落合湾に上陸。時刻は17時前と、かなりいい感じで距離を稼ぐ事ができたみたいだ。僕個人も、落合湾でキャンプがしたかったので嬉しかった。
 落合湾というのは知床EXPEDITIONの中だけでの名称で、正式な地名ではない。ものすごくこぢんまりとした入り江なのだが、湧き水も出ており、流木もちゃんとあり、背後が崖で熊の侵入も少ないと言う、きわめて優れたビバーク地なのだ。
 すぐに日が暮れてしまいそうだったので、皆、すぐに荷物を出し、テントを立てる。
 流木を集めて焚火をし、ガイドは夕食の準備、皆さんは昨日までに濡れてしまったものを海岸のゴロタ岩の上に放り出し、乾かしに入っている。僕もテントを立てるが、グショグショ。困ったもんだ・・・。
 この日、初めて夕日を見た。岩の陰でキャンプサイトからは見れなかったが、沖から見ると北海道の広大な台地に消える太陽が見て取れた。この様子だと、明日も天気は良さそうだ♪
 夕食はごはんと汁、そして各種惣菜である。いたってシンプルなのではあるが、これがシコタマ美味い!おかずの一品として焼かれた羅臼産ホッケのミリン干しがまた極旨で、御飯が進んだ。
 久しぶりの雨も風もない極上のキャンプにみんなノリノリで、酒は進んだ。特にこの日、PACEさんの誕生日でみんなでバースデーソングを唄ったのだが、どうやら子守唄になってしまったらしく(笑)、どういう訳かこの日に限って早めにご就寝なさってしまいました…。
 知床半島に月が昇ったのを確認した頃、僕も就寝した。

 

5月4日 落合湾(通称)→ポンベツ川河口付近


 朝起きると、見事な快晴であった。
 早朝から参加者の行動は早い。今回の参加者はそうして朝が早く、ガイドの杉さんとフカザワさんは、「うひ~、もう起きているよ!」と、言いながらテントから出て焚火を起こすのだった。
 左右、後を崖に囲まれた落合湾は日が射すのが遅い。日が高くなるにつれてサイト内にも日光がさし、暖かくなる。みんなテントから荷物を出して濡れた衣類や装備を乾かしにかかりだした。妙に生活臭のする光景だが、これが集団遠征の光景というものでもあるのだろう。
 トイレに行こうと海岸線に出ると、丘の上に誰かがいるのが見えた。グッさんとMさんだ。どこから登ったのかを聞き、僕も意気揚々とよじ登る。前に来た時もここに登れると聞いていたが、登らずじまいだったのだ。
 ちょうど、僕らが泊まっている入江の上に出ることができる。
 正面には知床岬。後には知床半島が続き、左手にはオホーツク海。足元には色とりどりの皆の装備が見て取れた。 
「絶景、絶景♪」
 記念写真を撮ってもらい、再び皆のもとへ戻る。

 

 装備を整理し、潮が引いてしまったのでカヤックをみんなで運んでからパッキングし、出発したのは9時近くだった。潮だまりには今年生まれたばかりの鱒の子供が群れをなし、ユウレイクラゲが漂っていた。北の海はなかなかに賑やかだ。
 海上はかなり温かい。それまでポギーをつけて漕いでいたのを外し、帽子もキャップの上にニットキャップを被っていたのを、普通のキャップのみにした。
 それにしてもなんという快適な海旅。緩やかなうねりと共に、滑らかにすべるように進むカヤック。顔に当たる冷たい山からの風と、温かい陽射しが心地よい。正面には雪を被った山々が垣間見え、春の知床のなんとすばらしい事か・・・!
 途中、海賊湾にも寄る。ここも俗名で、正しい知床の地名ではないが、深く切れ込んだ入江には川が流れ込んでおり、秋に来るとパドルにゴツゴツぶつかるほどのカラフトマスが遡上してくるという。今回はマスはいないものの、黒い溶岩の岩と、それに白い雪が対照的できれいな入江を見ることができた。新谷さんはここで岩山によじ登り、皆の集合写真を撮った。

 ここから先は、もうひたすら淡々と漕いで行く。
 観音岩という、自然に削られた岩がまるで観音様に見える場所があるのだが、そこを越えると73回目の知床で3日間閉じ込められたレタラワタラの番屋跡が見えてくる。でもここもほとんど説明なしに通過された。僕にとってはとても見覚えのある景色ではあったが、「こんなに遠浅だったのか・・・」と、当時とは違う凪ぎの海を漕いで思ったのだった。
 いくつかの出張りを漕ぎ、カパルワタラという、岩の隙間を通り抜けたところをしばらく行くと、海に直接落ちる滝、カシュニの滝が現れる。雪解け水で湛えた滝は水量が増し、ものすごい勢いで海に落ちている。夏は滝壷まで行ったのだが、今回は隊長のストップをかけたので遠くから見るだけ。
 この滝を過ぎるとすぐに蛸岩にたどり着く。ここにはどういう訳か、必ず熊がいる。今回も1頭見かけたが、かなり崖の高い所まで行ってしまった。
 上陸し、休憩。昼食となる。
 陽射しがかなり強い。かなり暑い。新谷さんなどは上半身裸になり作業をしていた。僕もたまらずジャケットを脱ぎ、セーターのみになる。
 沢の水で顔を洗っている人を見て、思わず僕も頭を洗う。汗臭く、塩味を帯びた水が滴ってくる。それにしても冷たい・・・!だけど気持ちいい。
 昼食はショウガと七味が効いたウドン。みんな遠慮するのか、けっこう最後にはあまり、掃除役に僕が食べるのだった。
 日向ぼっこをしながらの休憩。あ~、前半の雨と風が嘘のような心地の良さである。

 

 

 1時間ほどして出発。
 蛸岩を越えると、景色は山岳地帯から、丘陵地帯のような景色に変わる。このあたりだけ知床の屏風のような山が途切れるのだ。悪名高き「ルシャ」とはこのあたりのことである。だけどこの時はたいした風は吹かず、穏やかな海を正面に硫黄山、後に知床岳を見ながら進んでいった。
 この日、一気に五湖の断崖のあたりまで行ってしまうのかなぁ…と、思っていたのだが、今日は早めに夕食の準備をしてゆっくりしたいということなのか、最後のビバーク地はルシャを越えてその先にあるポンベツ川の河口付近になった。
 海岸線の平淡さとは違ってゴロタ浜の海岸はなかなか上陸が難しかった。それでも知床の上陸はこんなもんなのだろう。とくに困ったこともなかったが、一人、K-1の自艇参加だったNさんは、なかなか大変そうだった。僕も普段はファルトなので、もしファルトで知床を漕ごうと思うと、なかなか考えさせられる物があった。
 この場所は知床岳が良く見渡せて、なかなか良い場所ではあったが、それと同時にものすごく熊も出そうな場所だ。結果的に見はしなかったけど、一人でここに泊まるとなると、見晴らしがいい分、なかなか落ち着かなさそうだ。
 薪が集められ、焚火を起こしてさっそく夕飯の準備となった。この日はなんといっても最後のキャンプだ(うまくいけば)。天気は良いし、明日には必ず帰れる物だと思っていた。楽勝だと思っていた。
 夕食は御飯と汁、そして塩漬ポーク。この肉も馴染み深い味で旨い。PACEさんと2人でウイスキーのボトルでたたき柔らかくした。ちなみにこのときのボトルは最後のために温めておいた持参のバーボン。飲みながら料理を手伝う。
 最後だからなのか、みんないつもは早めにテントに入ってしまうのに、この夜はいつまでも皆、焚火の前に出て酒を飲んでいた。夜食にだされるチカが旨い。
 終わりよければ全て良し。73回目の知床のときに思ったことではあった。今回も最後のキャンプも快適に過ごせ、楽しい一周になるだろうと思っていた。
 
 しかし…。しかしですよ。
 心のどこかで「こんなにうまく事が進む訳がねぇ・・・」という、一種の疑心もあった。
 
   そして知床という場所は、その期待をうまいこと叶えてくれる場所だということを今回教えてくれたのだった・・・!




 

5月5日 ポンベツ川河口付近→宇登呂海浜キャンプ場


 夜中、爆風がテントにぶち当たり、僕の寝床を持ち上げたので、思わず眼が覚めた。
「あー、また風か…」
 夜中から風がまた吹いてきた。それもかなり強い。テントを叩くバタバタという音と、ポールの軋む音が厭らしい。これだから知床なのだ。これだから風の半島なのだ。多少の憂鬱を抱えつつ、夜だけだろうという淡い期待を持って再びまどろんでいく…。
 朝起きると、やっぱり風は吹いていた。それどころか、テントがつぶれている物まである。タープはしばらくしてポールが抜かれた。
 いやいや、それにしてもたいしたもんだ。こんなに期待にこたえない場所というのも珍しい。そんな簡単な場所では、確かにない。これぞ春の知床なのだろう。海は細波立ち、ウサギが飛んでいる。空の雲はアホみたいに速く移動していった。
 風を待って出発ということになり、新谷さんは風を見るために正面にある岬の奥まで偵察に行った。残された僕らは風が収まるのを待ちながら、気長に空など眺めて過ごした。
 素人目にだが、風が弱くなったような気がしてきた。海面に飛ぶウサギの数は減り、次第に風も弱くなってきている気がする。いや、風が弱くなっているというより、風向きが変わってきているだけなのかもしれない。空を行く雲のスピードは変わらないからだ。
 新谷さんが戻ってきた。 
「出発できそうだ」
 風が変わり、ルシャダシが吹いてきた。知床岳の方を見ると、海面がそこだけ黒く見える。ルシャから吹いた風が、あそこに集まっているのだという。
 ラーメンを作って食べ、8時過ぎ、出発。
 いきなりHさんのラダーのワイヤーが切れるハプニングがあったが、こんな事はよくあることだからすぐに直り、先を急ぐ。

 

 でだしは風が強く、ややろうばい気味な感じではあったが、漕いで進むにつれて風は収まり、追い風となり、海もやさしくなってきてくれた。
 海の色がバスクリーンを流したようなエメラルドグリーンになり、正面にカムイワッカノ滝が見えると、いよいよ知床の大詰め、五湖の断崖が続いてくる。そして同時に、沖には観光船が引き波を作りながら猛スピードで走りだしてくるようになる。
 さすがGWだけあって、観光船にはたくさんのお客が乗り込み、皆が一方の舷に集まるために大きく傾きながら進んでいた。彼らからすれば僕らなどただの漂流物にしか見えないのだろう。
 絶壁の下を一列になって壁伝いに漕いでいく。引き波で大きく揺られながら僕らは進んだ。
 ウトロ側に出てから、やたらと熊を見る。
 このときも2頭の子どもを連れた熊を見た。小熊はかわいい。本当にぬいぐるみみたいだ。ベタな表現だけど、本当なのだからしょうがない。僕らに気付いた母熊は子供達を岩の隙間に隠し、そこから少し離れた所で僕らを見据えていた。陸であったら相当に怖い場面だけど、カヤックからだと落ち着いて観察していられるのがいい。
 マムシ浜にいったん上陸させてもらい、僕と数名だけがション便タイム。前に来たときよりも崩れてきている気がするが、三方を崖に囲まれたこの場所は、かなりダイナミックな地形をしている。沖で皆が待っているので急いでまた、カヤックに乗り込む。
 恒例の洞窟探検などをし、大量のウミネコや鵜が飛び交う中を漕いで、ひたすらにウトロを目指す。崖には子供のトドが皆とはぐれたのか、一人おどおどしながらこちらを見た後、海に飛び込んだ。
 大量の海鳥の鳴き声とそのウンコの臭い。ときどき現れる海獣は、ここが北の海であることを五感を通して伝えてくれる。まるで千島やアリューシャンを漕いでいるかのような…。
 岩尾別まで出ると、羅臼岳が見えた。山頂に雲を被った羅臼岳はまだ雪を多く残し、そのたたずまいは威厳があった。でかい山は、存在するだけでかっこいい。

 

 ここまで来ればあともう少しだ。
 だが、ここにきて僕の一番苦手な自然現象が沖の方からやってきていた…。 
「あ、光った」
 最初は沖で雷が通過していると思っていた程度だったが、次第に遠雷が聞こえてきて、次第に近づいてきているようだった。気付くと雨がぱらついてきて、あっという間にドシャ降りになった。
 僕はですね…雷ほど嫌いな物はないんです。もし、僕一人で行動していたら迷わず岩尾別の浜に上陸したまま、雷が過ぎるのを待った事でしょう。でも新谷さんは先を急いだ。 
「沖に出ると危ないが、陸に近すぎ過ぎても、落雷した時に危ない。ちょうどいい間隔で漕ぐから後に付いて来てくれー!」
 僕は相当ビビりながら漕いだ。雷が鳴る度に心拍数が上がる。脂汗がでる…!
 雷は10分ほどで通り過ぎたようだ。雨は止み、僕らはまた観光船に気を配りながら断崖の下を漕いで行った。
 見覚えのある岬が見えた。あれを越えればウトロの街が見えるとわかった途端、おもわず「やった」と思った。
 正面にウトロの漁港が見え、白いホテルが見えた。人工的な建物と、道路を走る車を見て、人の住む場所に戻ってきたという実感がわいてくる。追い風に押されながら、皆思い思いのスピードで、笑顔だったり、渋い顔だったり、安らいだような顔だったりしてパドリングを続ける。
 13時過ぎ、無事宇登呂海浜キャンプ場到着。
 皆でビールを回し飲みし、ゴールの感慨にふけった。記念写真。
 カヤックから荷物を取り出し、片付けにかかっている皆を見ながら、ガイドの新谷さんはゴロタ石に座り、タバコを取り出していた。片付けをどうするか聞くと 
「まー、ちょっと俺にも休ませてくれや…」
 そう言って旨そうにタバコを燻らせた。
   仕事を成し遂げたという男の背中だった。

 

 一服した後、荷物がまとめられ、カヤックが移動されて各個人の装備が車に積み込まれていった。
 2台の車に荷物を乗員を乗せて、一路、薫別にある杉さんの宿に向う。大量の荷物にはさまれて、かえって体重が預けられて楽だったので寝てしまった。気付くとすでに宿の近くを走っていた。 
「万月堂」。
 前回来たときもお世話になったが、相変わらずきれいな宿で、無人の場所を移動してきた人間には非常に安らぐ場所だ。
 新谷さんとフカザワさんはカヤックを運ぶ為に再びウトロに戻り、僕らは風呂に入ったりしてくつろいだ。とは言っても僕の場合、その後食事の手伝いなどを行って海カジカの刺身など作ったりしたのだった。
 料理をしていると手伝いにきてくれる人達もいて、料理を作りながらすでに飲み始めてしまう。何ゆえ、僕はこういう厨房で飲むビールが好きだ(笑)
 薪ストーブの暖かい部屋の中、残雪でキンキンに冷えたビールを飲みながら、フキノトウ、ギョウジャニンニクのテンプラ、鹿肉のカツレツ、海鰍の刺身を食べるのは、たまらないものがあった。テレビではNさんが撮ってビデオが回され、皆でそれを見ながら「あーでもない、こーでもない」と、今回の知床を思い返していた。
 あまりに美味いので、ちょっとビールを飲みすぎた。
 新谷さんが帰ってきた頃、ちょっとのつもりで部屋に戻って横になったら、そのまま寝てしまった。
 なんだか今回は、やたらと寝てしまった場面が多く、自分のアグレッシブさが劣りつつあるような気がしてならい印象が強い。
 
 
 

5月6日標津→解散


 翌朝、恥かしながら寝坊してしまい、荷物の整理をしてからリビングに向うと、すでにみんな朝食を食べ始めていた…!恐縮しつつ、席もないので台所近くで残り物を食べた。あー、マジでこれは恥かしかった・・・。
 この日、当初はもう一泊「万月堂」に泊まって帰る予定だったのだが、女満別からの往復で航空券を買っており、中標津からなら送ってやってもいいけど、女満別はさすがにきつい…とのことなので、みんなと一緒に女満別空港まで新谷さんに送ってもらい、網走で一泊してから帰ることにした。計画ミスだ。残念。
 昨日干したテントやカヤック装備を片付けるのを皆で手伝い、一段落した頃、みな帰り支度を整え始めた。
 車で来た人たちが次々に去っていく。
 カヤックの世界は狭い。いずれどこかで会うだろう。むしろ、必ず会うだろう。悪い事はこの業界ではできないよ、本当。笑顔で握手をし、去っていく。
 9時頃、飛行機で帰る人たちも2台の車に乗り、万月堂を後にした。フカザワさんも新谷さんも、そのまま札幌方面まで帰るらしい。
 前回同様、網走にある「北方民族博物館」により、その後空港へ。東京羽田行きの飛行機は1時間の遅れで、皆ゆっくりと帰ることが出来るようだ。
 新谷さんとフカザワさん、大変お世話になりました。別れの挨拶をし、2人はまた長~い道のりを運転して札幌方面に向っていくのだった。
 僕とMさんはもう一泊してから帰るのでここでみんなとお別れ。バスに乗り、網走方面へと向った。
 

 
 春の知床。終わってみると、なんとも奇妙な一週間だった。
 前回来たときは北海道という土地自体が初めてで、見るものすべてが真新しく、その中において知床や羅臼の自然はとても印象深い物だった。何よりも体が旅をし続けることで、環境に適応しやすくなっていた。
 今回の春の知床は、飛行機で一気に女満別まで来てしまい、あれよあれよと知床を漕ぐ事となり、つい数時間前まで東京で仕事をしていたという生活とのギャップに馴染んでいないようなところがあった。心があまり知床と結びつかず、それがどうも、自分の中でしっくり来なかった。テントで眠っていると、自分がどこにいるのかよくわからず、前半の悪天候でのビバークも、「何でこんなことしてんだ、俺?」という考えが先走り、十分に知床を堪能していたとはいえない。それが今思うと、残念でならない。
 また、 72回目、 73回目の時は「新谷暁生という人物のカヤックや自然に対する考え方を知ろう、ガイディングを盗んでやろう…」という、自分の中でのテーマがあったのだが、今回はほとんど大名旅行で、とりあえず行ってみるか、漕いでみるか…といった感じだった。つまりあまり熱意がなかった、主旨がなかった気がする。
 それがこの、一周が終わった後の達成感というより、虚無感に近い後味の正体なのだと思う。毎日の寝坊が、それを物語っていると思う。ガイドとしてではなく、お客さんとして参加した今回の知床 EXPEDITIONは、チームとしては結果的にそれでよかったと思う。僕は使い物にならなかった。
 
 命に満ちた夏の知床と違い、春の知床はまだ、雪と岩の世界だった。 
「俺は春の知床が一番好きだな…」
 新谷さんがこの時期の知床を好きなのは、やはりヒマラヤの山陰をこの春の知床の厳しさに見ているからなのだろう。この人は生粋の岳人で、北方民俗の血を引く人なのだと思った。そしてそういう自然が似あう人だ。僕の知らない世界を生きる人だ。それがシーカヤックという移動の手段のみで繋がっていることが、奇妙でならない。
 ともかく、終わってみると色々と思うことが多くなった今回の知床 EXPEDITION。知床という土地もそうだがそれよりも、「厳しい環境の中でカヤックを漕いでいく」ということを、より深く意識する旅だった。
 新谷さんは、少なくとも 108回までは知床を漕ぎ続けるという。人間の煩悩の数か。確かに、冒険とは煩悩の究極の形なのかもしれない。
 そんな煩悩を消え去る為にも?これからも漕ぎ続けていきたい。