第4回西表島~鳩間島間カヤックレース参戦記

~大海洋祭マンタピア八重山2004第4回竹富町カヌーツーリング大会【西表島】~

2004年5月15日

 

 
 2003年5月24日。西表島「南風見ぱぴよん」のガイドとなって働き出して、まだ1ヶ月たったか、経たないかという時期に、僕は西表~鳩間島間のシーカヤックレースに出場することになった。 「ぱぴよんのガイドである以上、5位以内に入らなければクビや!」オーナーにそう、怒鳴られたものの、一方では 「まぁ、所詮お祭りだから、気楽に参加すればいいよ」という、意見も飛びかい、そんななかレースを終えてみると、総合11位と、まぁなかなかの記録を作ることとなった。
 
 そして2004年5月15日。ガイド職を辞め、東京で団体職員としてパソコンをパチパチ打っていた僕は、一週間の休みをもらい、再び西表島に向かった。目的は里帰りみたいな意味もあるが、第4回のレースに参戦することだ。 2003年のレースが終った後、どうにもやはり悔しくて、来年も参加すると誓ってしまった。
 悔しさの原因は、祖内でラーメン屋を営むKさんに負けたということだ。
 
「赤塚!!お前もプロのガイドなら、ラーメン屋なんかには負けるなよ!!」 
「負けたらしばらく、出前持ちか、餃子の皮でも包んでろ!!」
 
 ンなこと言われても、Kさんは各種カヤックのフィールドテストをやっているくらい、この手の業界では有名な人らしく、レーシングカヤック出身の人らしい。そんな人に、いくら現役を退いたとしても、ガイド暦1ヶ月の僕がかなう物なのか疑問だったが、ともかくボスの命令には逆らえない。
 なにはともあれ、自分の現在の実力を試す上でも「イッチョやってやろうか?」という、久々にアスリートとしての自分がふつふつと沸きあがってきたのだ。
 ところが、これが負けた。僕は11位で、先輩が9位、そしてKさんが10位だったのだ!
 案の定、周りからはいじくりまわされるし、出前持ちにはならずにすんだが、なんだかこの微妙な結果にワジワジせざるを得なかった。
 

 

 

 そして2004年、大会当日。僕はぱぴよんから、去年使用したのとまったく同じ「白鯨」を借り、レースに臨んだ。
 今回は、昨年、女子の部で優勝した余語さんが東京に帰っているため、女子の優勝は比較的楽になったと言えた。代わりと言っちゃ何だが、ぱぴよんの常連、トロールさんが来ており、彼女も参加するとのことだった。この人は僕と同じフェザーオーナーだが、今回は WATER FIELD の「不知火」で参戦である。 と、言う事でぱぴよんからは4名、参加する事になった。
 一人はもちろん、ぱぴよんのオーナー、山元さん。もう一人は僕の先輩である通称ケンちゃん(僕はケンさんと呼んでいるが・・・)。そして僕、トロールさんとなる。 去年はレースに出なかったが、今年は村田自然熟のガイドの人達も出るので、なんだか選手層は厚そうだ。さらに、去年まではタンデム艇もシングル艇も、同じ土俵で戦わなくてはならない、とんでもないルールだったが、今年からはシングル部門とタンデム部門と分かれるようだ。今考えても「あたりまえ」だと思うんだが・・・。
 
 コースは西表島上原にある、まるまビーチから、直線距離にして約6.5㎞先にある鳩間島までで、行きのタイムと帰りのタイムの合計で競われる。
 上位入賞者はみんなレース用のほっそ~いカヤックを使うので、我らTEAM HAKUGEI は、ベタ凪のベストコンデションの海よりも、やや荒れた海の方が有利なのだが、困った事に当日はほとんど風もない、スンバラスィ~天気になってしまっていた。
 
 ビーチに舟を運び、出発の準備をする。
 僕は服を着たまま、目の前の海に飛び込んだ。そう、そう、この感じ。
 
「あー、西表の海だー」
 
 海に浸かって、やっと西表島に戻ってきたと言う感じがした。

 

 鳩間島ゴール地点 スタートラインにカヤックが集まり、花火と共にスタート。
 昨年は港の中から出発だったが、今年はビーチからなので出発は楽だ。ただ、ここのスタートダッシュで、僕は油断してしまい、気付いたらかなり後方の方になってしまった。
 これが効いたのか、ジリジリと他の選手たちとの距離は広がり、かわりに後から追い上げてくる選手に着実に追い抜かれようとしていた。 
 
「おかしい・・・?? 何でこんなに力が入らない???」
 
 よく、昔、スポーツ選手だったお父さんが、運動会で走ると、よく転んでしまうと言う話を聞く。これは、感覚では出来ると思っている事が、実際には肉体がついてゆかず、その結果転んでしまうと言うのだ。
 まさに僕はこの「転んでしまうお父さん」と、同じ状態になっていた。
 ぱぴよんのガイド時代なら、こんな馬力のない漕ぎかたしないのに・・・とか、こんな簡単に疲れないはずなのに・・・とか、何でこれ以上力が出ないんだ・・・??? など、いくらカヤックを漕ぐのが半年振りとはいえ、とにかく頭で考える以上に、自分の体が追いついてこないのだ。
 単純に、トレーニング不足、体力が落ちた。 結果、何とか鳩間島に着いたのは去年よりかなり遅く、順位もかなり寒かった。
東屋の下でお休みのぱぴよんチームと自然塾チーム一般ののんびりツーリングのお客さんが到着した。鳩間島はきれいだねー。ゴールして身体を冷やす皆さん。でもぬるい・・・。 

 
 

 熱い身体を海に入って冷やし、息を整える。久しぶりに全力で漕いだので、疲労困憊だ。冷たい麦茶をもらい飲む。
 島ではオジイバンドが去年と同じように唄を歌って僕らを迎えてくれた。三線、エレキギター、バイオリン、むちゃくちゃな楽器選択だが、このバンドはいつ聞いてもいい。鳩間島に来たナーと思いにふけってしまう。 昼食の八重山ソバとジューシーおにぎりをほおばり、鳩間近海で獲れたカツオの刺身をたいらげる。疲れているから食欲がないはずなのだが、なんか知らんが食べてしまう。
 食べたら寝て、体力回復に努める。しかし、久しぶりに帰ってきた西表島ナだけに、話も面白くて、レースと同時にやっている一般の人達のツアーに出ていた本郷さんや、村田自然熟のヒゲさんたちと話ししたりして過ごす。
 
 さて、復路である。昨年は肩を行きで痛めてしまったので、スタートに失敗したのだが、さすがに今年は来る時のタイムがちょっと芳しくないのでやっと、闘争心に火がついてきていた。な、なんとか20位以下は避けたい・・・!!
 

 復路スタート。ダッシュをかけて、イッキに先頭集団に食い込んだ。
 ・・・が、やはり体力の低下か、スタミナが持たず、じりじりと後退していくのが自分でもわかった。
 「あーだめだ。コリャダメだ」
 向かい風とはいえ、なんとか、自分の根性には負けないようにと、気合いを入れて漕いだが、自分が考えている以上に体が動いてくれない。
 まるまビーチにヨレヨレトたどり着くと、ゴールのポールにタッチし、そのまま海に飛び込んだ。
 総合タイム1時間33分17秒の、19位。な、なんとか20位以内には入ることが出来た・・・。男子28人中だけど・・・。 この年、Kさんはメチャクチャ速くて、なんと山元さんを抜いて4位!!

 「ダメだなー。ぱぴよんはもうダメダメだなー」

 山元さんがこんな事を言うのも珍しいが、しかしこのおじさんも、もう50歳である。まさに超人的50歳だ。タイムは1時間24分01秒の5位。ケンさんは1時間27分14秒で12位。去年は怪我でしばらく内地に帰っており、西表に来て3週間目くらいでレースに出たので、行きで僕は勝った事もあるのだが、今年はベストコンディションで出たのでやはり速い・・・。
 男子の部優勝は、去年と同じく、東海大学の駐在員、崎原さんでタイムは1時間08分5秒。バケモノに等しい速さだ・・・。 しばらく時間が空いた後、夕方から表彰式と、催し物が開かれた。
 優勝賞品は、JAL東京~石垣往復券という中、僕が貰ったのは、簡易クーラーボックスに清福3合。まァ、賞品がもらえるだけ嬉しいヤナ。 例年通り、最後はカチャーシーとなった。唄って、踊ってモーあしびー♪
 やっぱ、沖縄はいいね。

 それにしても普段は「俺らはツーリング派カヤッカーだからサー。基本は旅なんだよ」と、言ってはいるものの、いざレースとなると本気になるし、順位が低いと、なんだか悔しい。納得いかない。
 もっと距離が長い、奄美のカヤックレースならどうなるかわからないが、とにもかくにもたまにはレースというものをやってみると、意外とツーリングカヤックでも役に立つ物が多いことに気付く。。とくにガイド業などをやる者にとっては、瞬間的にでも、スピードを出して漕がなければいけない場面にも遭遇するわけで、上位に入っている人のパドリングは参考になる。
 
 来年はでれるかわからないが、とにかくお祭りとしてはかなり面白いものでした。
 ん・・・?それとも来年は奄美にでようかな?ファルト部門もあるというしな・・・。